いとしい

 


高校卒業を控えた春の放課後に、糸永くんと待ち合わせをしていた。糸永くんに、園田さんと一緒に行きたいところがあるからと、誘われたのだ。

あれから、私たちは友達になった。もちろん「そういうこと」はしていない。ただの友達だ。とはいえ、塾で会った時に話すくらいで、こんなふうに約束して会うのは、はじめてだった。

夕方、動きやすい格好に着替えて、別府駅に集合。糸永くんの言う通りにして駅前で待っていたら、目の前にバイクが立ち止まった。運転手がヘルメットを脱いだ時、それがはじめて糸永くんだとわかった。

 


「糸永くんって、バイク乗るんだ」

「意外?」

 


制服を着ているので、よく見れば糸永くんだとわかったはずだが、糸永くんとバイクが結びつかなかったので、驚いた。

 


「意外かと言われると、難しいな。私はもう、糸永くんのこと全然わからないし」

 


私がそう答えると、糸永くんは大声で笑った。私のあけすけな物言いが糸永くんのツボに入ったみたいだった。

糸永くんは私にぽいっとヘルメットを手渡した。服装を指定してきたあたり、そうだろうとは思っていたが、後ろに乗れということらしい。確かに制服のまま乗るのは難しそうだった。

私は糸永くんに教わりながら、ヘルメットをかぶって、おずおずとバイクに跨る。どこにつかまったらいいかわからず手をふよふよさせていると、糸永くんがそれを掴んで自分の腰の方に引き寄せた。

 


「つかまって」

 


もちろん私は、すごくドキドキしている。私たちは友達だったけど、私はあれからずっと糸永くんのことを好きだった。

三十分くらい走って着いたのは、十文字原展望台だった。別府の街並みと別府湾を見渡せる、市内でも有名な展望スポットだ。小さい頃家族と来たことはあるけれど、こんなふうに男の子と来るのははじめてだった。

糸永くんは私を連れてきたくせに、何にも言わずに、ずっと街並みを見ている。私はその隣で、はじめは同じように街の灯りを眺めていたけど、だんだん飽きてしまって、それからは糸永くんの横顔を見ていた。じいっと見つめ続けていたら、ふいに糸永くんが私の方に向き直って、笑いかけた。

 


「園田さん、キスしたそうな顔してる」

 


糸永くんはかわいい顔で私をからかった。まあ、確かにそうかもしれなかった。

 


「したいけど、しないよ。だって、糸永くんって私のこと全然好きじゃないもん」

 


私は、糸永くんとはじめて話した時のことを思い出す。あの頃の私とはもう、全然違うのだ。

糸永くんは笑っている。私も、恥ずかしいのをごまかすように笑った。その後、糸永くんは、寂しいとも嬉しいとも言えないような、あいまいな表情で話し出した。

 


「家から離れる前に、この街を見ておきたくて」

 


糸永くんも私も、それぞれ県外の大学への進学が決まっていた。今まで当たり前のようにこの街で暮らしていたけれど、こうして過ごせるのも、あと2週間程度だった。

 


「糸永くんは、この街が好き?」

 


私が質問すると、糸永くんはいつもみたいにはぐらかした。

 


「園田さんは?」

 


糸永くんは、こうしていつも、自分のことを教えてくれない。

 


「私は好きだよ。糸永くんとも会えたし」

「僕のこと口説いてるの?」

 


園田さんはおもしろいなって、糸永くんは笑う。こうして糸永くんと隣で話せるのもあと2週間だけなので、私はもうやけっぱちなのだ。

もう答える気はないのだろうと諦めていたら、糸永くんは急に真剣な顔になって語り出した。

 


「僕も、今は好きだって思うよ」

 


糸永くんは、遠いところを見つめながら、そう続ける。今は?前は?どういうところを?って、色々聞きたかったけど、私は全部飲みこんだ。

糸永くんは、はじめから今まで、ずっと遠くの、違う時間のところで生きているみたい。糸永くんの話を聞こうとしたことは何度もあるけど、そのたび糸永くんは、あんまり人の心をのぞいちゃだめだよっていうふうに、あいまいに笑った。友達になって、話しはじめたあの頃より、少しだけ近くに行けた気もするけど、やっぱり私は糸永くんのことを全然わからなくて、わかりたくて、でも何もできなくて、それがとても悲しかった。糸永くんは、そういうふうに私が何にも知らないでいるところを気に入ってるみたいなのも、悲しかった。

 


「僕のために泣いてるの?」

 


私はなんだか悲しくて、泣けてきてしまう。糸永くんは、泣いている私を見て、不思議そうにしている。

 


「夜景があんまり綺麗だから」

 


糸永くんは、泣いてる私をそっと抱きしめた。優しかった。このまま2人で消えてしまえたら、どれだけ幸せだろうと思った。でも、それを望んでいるのが私だけでしかないことがありありとわかっていたから、私は抱きしめ返さなかった。私の悲しいほど小さなプライドだった。

空に光った一番星に、心の中でお願いをした。いつか私じゃないだれか、糸永くんのことを幸せにしてください。