あなたがほしい

 

 

 

 

 

糸永くんが街で男の人と2人でいるところを、何度か見たことがある。見かける場所は、駅前だったり、海沿いの国道だったり、色々。年齢も、大学生くらいから私のお父さんくらいの人まで、幅広い。


私はそれを見るたび、とても意外で、不思議だった。


糸永くんは、同じ塾に通っている男の子だ。黒髪に眼鏡をかけた、クラスの中では比較的落ち着いている感じの、綺麗な子。


私は、糸永くんと話したことはない。糸永くんが誰かと仲良くしているのも、見たことがない。糸永くんはあまり群れることを好まない性格らしかった。別に避けているというふうでも無かったけど、必要以上に誰かと話したり協力したりしないところがあった。


だから、糸永くんが誰かと並んでいるだけで、私はすごく驚いた。しかも、そういう時の糸永くんは、うんと色っぽく、魅力的に見えたから。


それから、私は気になって気になって、糸永くんのことばかり考えてしまう。授業時間中はめいっぱい、斜め前に座る糸永くんの背中を見つめている。


糸永くんの見た目が変わったわけでもないし、相変わらず話したこともない。でも、世界の中に、糸永くんがぽやんと、光って浮かんで見えるみたいに、私はすっかり目が離せなくなってしまった。

 

 

 

 


ある日の授業中も、糸永くんのことばかり考えているので、またノートを取るのを忘れてしまう。授業終わりに、居眠りしてしまったからとウソをついて、友人にノートを借りた。糸永くんに惹かれていることは、誰にも内緒にしている。


数学の授業は、だんだん難しくなっている。この塾には色んな高校の生徒がいるけど、進度が1番速い別府クロス学院のカリキュラムに併せて授業がすすむので、私の高校ではまだ学んでいない範囲も先行して勉強しなくちゃいけない。


教室に残って、ホワイトボードと友人のノートを交互に見ながら、ノートをまとめる。他の生徒はもうすっかり帰ってしまって、教室には私だけだ。


10分ほどかけて、板書を全て書き写した。テーブルの上の消しカスを集めて、ゴミ箱に捨てる。ノートを鞄に詰め込んで、席を立って、教室のドアを開けると、そこに、帰ったはずの糸永くんが立っていた。


「園田さん、なにしちょんの」


糸永くんが突然にあらわれたことに驚いたし、糸永くんが私の苗字を知っていたことにも戸惑った。


「い、糸永くんこそ」

「僕は忘れ物をしてしまって」


糸永くんと、教室に2人きりなんて、夢みたいなシチュエーションに、私はくらくらしてしまう。


そんな私の高揚も伝わらず、糸永くんはそのまま私の横を通り過ぎて、斜め前の机の引き出し部分をゴソゴソとあさった。水色のノートを見つけると、鞄にしまうと、すぐに教室を出た。


それが寂しくて、私は通り過ぎる糸永くんの制服の裾を掴んだ。


「えっと」


糸永くんは不思議そうに私を見つめている。糸永くんの、碧色の瞳に、私が映っている。だから私は、嘘をつけなくなってしまう。


「糸永くんのことを、考えてたの」


私がそう言うと、糸永くんは少しだけ驚いた顔をした後、すぐにへらりと笑った。


「園田さん、最近いつも僕のこと見ちょるもんな」


糸永くんには全てお見通しらしかった。私は恥ずかしくて、全身が焼けたみたいに熱くて、でも、その瞳から目が離せない。


碧い瞳に急き立てられるみたいに、私は続ける。


「この前駅で一緒にいたの、誰?」


私の言葉に、糸永くんは薄桃色の唇の両端をゆっくりとあげた。


「誰だと思う?」


糸永くんって、こんなふうに意地悪を言う人だったかしら。


私は、ドキドキしてしまう。今私の目の前にいる糸永くんは、私の知っている糸永くんだろうか?糸永くんって、こんなにうんと、色っぽかったっけ。


「ええと……」


本当は、なんとなく想像している。だって、男の人と会っている時の糸永くんって、こんなふうにうんと色っぽくて、そんな糸永くんを見ている男の人はみんな、とろんとした目をしているから。


「……お金払ったら、私ともそういうことしてくれる?」


街で糸永くんを見つけた時からずっと、私もあんなふうに糸永くんに触ってみたいって、狂ってしまいそうだった。


私がそう言うと、糸永くんは目をまんまるくして、それからたまらないみたいにプッと吹き出した。


「園田さんはそういうことしない方がいいよ」


糸永くんは、おかしくてしょうがないみたいだった。真剣なつもりだったけれど、そう笑われると、とんでもないことを言ったものだと身に染みてきて、私はあんまり恥ずかしくてうつむいてしまう。うつむいてから、ずっと糸永くんの制服を掴んだままだったことに気づいて、慌てて手を離した。

 

 

 

 


「またね」


そう言ってその場を去る糸永くんは、教室でよく見るいつもの糸永くんだった。残された私はポツンと、なんだか寂しい気持ちになる。


はじめて糸永くんと話したのに、糸永くんと話す前より、ずっと糸永くんが遠かった。糸永くんの見ているものを、私も知りたいよ。糸永くんじゃなきゃ、だめだ。