光ってみえるもの

 

 

1.

 今日の夜は空いているか、と九条くんから連絡が来た。実に2年ぶりの連絡だった。

 正直に予定はないと伝えると、食事に誘われた。前にも九条くんと来たことのある居酒屋だった。


「元気そうやなあ」


 九条くんはビールとタバコを交互に口にする。私は、レモンサワーを頼んだ。どっちも、昔と変わらない。人って、2年じゃそんなに変わらないものだ。

 九条くんは、私の恋人だった人。しばらく恋人だったけど、やがてだめになってしまった。


「お前、まだ付き合ってるヤツおらんのか」


 枝豆を摘みながら、九条くんが呟いた。


「そうなるかもしれない人は、いる」


 最近連絡をとっている男の子がいた。まだ数回しか話したことはないけれど、デートに誘われている。


「そうか」

 

 九条くんは自分から質問してきたくせに、それ以上は聞いてこなかった。どんなやつだとか、いまどんな感じなのかとか、聞いてみればいいのに。勝手なやつだ。

 その日はビールとレモンサワーを1杯ずつ飲んで、解散した。次の約束は、しなかった。家に帰って、すぐ寝た。

 

 

 

 

 

2.

 九条くんと会った翌日に、例の男の子Aと会った。

 Aとは友人を含めた大人数の食事会で知り合い、そこで連絡先を交換したのがきっかけで、話をするようになった。

 Aが誘ってくれたのは、雰囲気のあるイタリアンレストランだった。2人きりで出かけるのはその日がはじめてだった。

 食事会は、終始和やかだった。付き合っている人はいるのかと聞かれたから、正直にいないと答えた。Aはホッとしたような顔をしていた。

 会計は、私の方が1つ年上なのに、Aがすべて払ってくれた。少しだけでも、と支払おうとしたら、じゃあ、次に会った時にお願いします。と典型的なスマートさで次の約束を取り付けられてしまった。

 そのあとすぐに、Aから連絡が来て、映画に誘われた。食事の時にちょうど私が話題にしていた映画だった。ぜひ、行きましょう。と返事をした。

 

 

 

 

 

3.

 九条くんから、週末は暇かと、また連絡が来た。集合場所は近所の神社だった。九条くんは無宗教のくせに、寺とか神社とかが好きだった。いつだか、神様を信じているの?と聞いたら、首を振った。


「来てる人はみんな、何かを願ってるやろ。そこが、おもしろい」

 

 私は、ふうん、と思った。もしかしたら、九条くんにも願いがあるのかもしれなかった。

 本殿の前に行って、お賽銭を入れたら、目をつぶる。実は私は、こういう時、何を願えばいいのかよくわからなくて、たいてい、ただ目を閉じて数字を数えている。神様は、あんまり信じてない。

 その後は、参道を散歩した。手は、繋がない。立ち入った話も、しない。話すことがなくなると、九条くんは仕事の話を、私は食べ物の話なんかをした。


 それからも何度か、九条くんと会った。連絡を寄越すのはいつも九条くんからだった。

 2年も連絡してなかったのにどうして、とは聞かなかった。たぶん、ただの気まぐれだった。そういう人だ。

 九条くんと会うたび、昔のことを思い出して、私はしっかり傷ついた。ようやく忘れかけていたところだったから。

 九条くんみたいな人は、九条くん以外にいなかった。

 

 

 

 


4.

 Aと見た映画は、おもしろかった。流行りの恋愛映画じゃなくて、ちゃんと私が見たかったアクション映画のチケットを取っておいてくれた。

 Aは、とってもいい人。優しいし、真面目だし、タバコも吸わないし、貯金もあるし、私のことを名前で呼んでくれるし、まだキスもしてないけど、してほしいって言えば、きっとしてくれると思う。

 帰りは、最寄り駅まで送ってくれた。また会いましょう、と言ってくれたので、ぜひ、とうなづいて、次の約束をした。

 

 

 

 

 

5.

 Aとの2回目のデートの数日後、私は1人で神社に来た。九条くんと来たことはあるけど、1人で来るのははじめてだった。

 いつものように、本殿の前に来た。お賽銭を入れて、手を叩いて目を瞑る。今日もやっぱり、神様に祈ることはしなかった。

 神様は信じていないけど、神社の清潔で張り詰めたような空気感は好きだった。

 帰りに参道沿いのお団子屋さんで、あん団子を1本買って帰った。

 

 

 

 


6.

 Aとの3回目のデートは中止になった。

 デートの前日に、九条くんが死んだ。事故死だった。仕事での移動中、タクシーに乗って最寄り駅へ向かう途中で、居眠り運転のトラックに突っ込まれた。即死だった。

 友人の葬式に参列するのははじめてだった。いっぱいのお花に囲まれて棺桶に収まっている九条くんは、コントみたいで、現実味がなかった。

 葬式からの帰りにコンビニに寄って、ライターと、九条くんがよく吸っていたタバコを買った。店の前で、見様見真似で、火をつけて、吸った。苦かった。

 

 

 

 

 

7.

「しょぼくれた顔しとんの」


 家に帰ると、玄関の前に九条くんが座り込んでいた。足はあるけど、全体的に半分透けている。


 幽霊じゃん。

「そうみたいやなあ」

 幽霊、はじめて見た。

「僕も幽霊になったのは、はじめてやなあ」


 九条くんは、とぼけた調子でそう言った。幽霊とはいえ、玄関先で話しこむのもなんなので、家にあがってもらう。

 2人分のお茶を入れてみたけど、幽霊は食事できるのだろうか。少しだけ心配したが、九条くんは特に気にする様子もなくカップに手をつけ、いつも通りにお茶を飲んだ。


「いいモンもっとるやん」


 九条くんはさっきコンビニで買ったタバコをめざとく見つけた。


 勝手に吸わないでよ。

「お前、こんなん吸わんやろ」

 

 まあ、それはそうで、確かに持て余していた。

 幽霊のくゆらす煙は、ふつうの煙より薄く、匂いも淡いみたいだった。


 デート、九条くんのお葬式のせいで中止になっちゃったよ。

「そりゃ残念やったな」


 九条くんはそれだけ話すと一瞬のうちに消えた。幽霊ってそういうものらしかった。薄いタバコの匂いだけが部屋に残った。

 

 

 

 


8.

 九条くんはそれから何度か私の前に現れた。毎日というわけではなく、必ずうちに出るわけでもなく、思い出したかのように「あちら」から「こちら」に来るらしかった。

 ある日は、喫茶店で買ったコーヒーを公園のベンチで飲んでいたら、いつの間にか隣に座っていた。


「いい天気やなあ」


 確かに天気の良い日だった。しょうがないので、近くの自動販売機で缶コーヒーを買って、それを九条くんにあげた。

 2人で公園をぶらぶらと散歩する。だいたい、九条くんが数歩先を歩いているのを、私が後ろから追いかける。九条くんの切り揃えられた後ろ髪が、風に吹かれてさらさら揺れるのが、綺麗だった。


 来週末、Aと3回目のデートなの。

「へえ」

 久しぶりに、Aから連絡が来たの。心配してますって。

「そうなんや」


 九条くんの背中に向かって、話しかける。こちらを向かないけど、たぶんヘラヘラしているんだと思う。

 九条くんは、しばらく歩いてから立ち止まって、ポケットから(私が買い与えた)タバコを取り出して、吸った。私はそれを隣で、ジッと見ていた。


「こんな晴れた日に、頭撃ったら気持ちいいやろうな」


 もともと突拍子もないことを言う人だったけど、今日は私も、そうかも、と思った。

 青々とした木々が眩しく、風がさわやかだった。

 

 

 

 


9.

「デート、どうやった」


 Aとのデートから帰ってくると、やっぱりうちの前に九条くんがいた。お葬式の日と似たような光景だった。


 職場の後輩と付き合うことになったって、報告されちゃった。

「ウワ、おもろ」

 ちっともおもしろくないよ。


 九条くんはケタケタ笑っている。それを見ていたら、私もなんだがおかしくなってきて、一緒になって笑った。


「今日で、たぶん、最後みたいや」


 九条くんが言った。いつもと変わらないように見えるけど、違うらしかった。九条くんは最後の1本のタバコを、味わうみたいに、ずいぶん短くなるまで吸っていた。


「お前とおるの、楽しかったなあ」


 タバコの煙と一緒に、吐き捨てるみたいに言う。


 私は九条くんといるの、結構、苦しかったよ。

 

 私がそう言うと、九条くんは苦笑いして、足元から薄くなっていく。さらさらと砂みたいに空気に溶けていって、消えた。


 私は九条くんがいなくなるのを見届けると、その場にうずくまって、わんわん泣いた。

 九条くんが生きてても死んでても、私にとっては同じなのが、悲しかった。たぶん、私が生きてても死んでても、一緒のはずだった。どうしたって私は九条くんのことが好きで、九条くんは私のものにはならないのだ。